Sanpom公開用 2003年11月24日 「日本語学」ことばの散歩道 井上史雄 東京外国語大学教授 はじめに  以下のエッセイをインターネットで公開することにしました。月刊誌「日本語学」に「ことばの散歩道」として連載されているものの、大部分です。原則として編集部に電子メールで送ったときのままです。初校で直していますので、雑誌に載ったのと一部食い違っています。直してよかったかを判定するのも面白いでしょう。  日本語教育の教材に使う人もいるとかいうことですが、外国人にとって知らない漢字・単語を辞書で引くのは大変な手間と時間がかかります。電子辞書ができて少し楽になりましたが、全員が持てるわけではありません。  インターネットで公開されていて、だれでも自由に使える「辞書引きソフト」の「チュウ太」があります。ただこれを使えるのはパソコンでインターネット使い放題の環境にある学生でしょう。大学の情報センターなどで日本語が読める環境のパソコンを通して使うのが、一番安上がりです。   チュウ太 http://language.tiu.ac.jp    「チュウ太」に読み込むには、電子ファイルの形になっている文章ならなんでもいいのですから、インターネットで新聞やニュース記事、個人の日記などを読むにも便利です。「青空文庫」などで公開された文学作品も使えます。「新潮文庫の100冊」のように、CD-ROMの形で売られているものも使えます。  余計なお世話かもしれませんが、エッセイの一種として、「ことばの散歩道」も公開します。このエッセイも1編ずつ「チュウ太」に読み込むと、辞書をいちいち引く手間が省けます。  掲載の逆順にしてあります。初期のものの公開は、少し手間がかかります。 散歩道 2003.12月号 67 ギリシャ文字事情  ギリシャの空港には、留学生の家族が迎えにきてくれた。空港から車で出ようとすると、×○△○の記号が目につく。アンケートの選択肢のようだ。それを左右から<と>で囲んであるように見えた。しかしよくみると< >ではない。ギリシャ文字のΕとΣのようだ。幾何学と統計学の記号の知識を総動員して、やっとギリシャ文字ΕΧΟΔΟΣエクソドスにあたる表記だと気づいた。そういえば、逃走の意味でラテン語はじめヨーロッパの諸言語に入ったし、似た題名の映画もあった。「出口」の意味と推測した。  迎えに来た留学生の家族に読んでみせて、「これがギリシャで覚えた最初の単語だ」と言ったら、「最後の単語にならないように祈る」と言われてしまった。  ○△○は、文字としてでなく記号として覚えやすい。これを出口の手がかりにしようと考えた。これだと単語を覚える必要がない。外国人が、漢字の表示の中に図形の□があったら「出口」か「入口」だろうと推測することの応用だ。 しかしすぐにだめなことに気づいた。地下鉄の駅の表示に○△○が並んでいるが、前の文字が微妙に違う。また過去の知識を利用して解読したら、もう一つはΕΙΣΟΔΟΣエイソドスと読めるもので「入口」だった。しかも街に出たら道路名標示板に○△○があふれている。大きく書いてあるΟΔΟΣオドスが「通り」の意味なのだ。横書きのΟΔΟΣは、単語というよりもむしろパソコンで使う顔文字に似ていて、街角ごとにコアラが片手をあげているようで楽しい。 かくて、ギリシャ文字を読まずに、単語も覚えずに、○△○を手がかりに出口を知ろうという試みはついえてしまった。その代わり、エクソドスがギリシャ語の最初にして最後の単語にはならないですんだ。  それにしても、苦労してギリシャ文字の看板を解読してみると、英語からの借用語だったりする。英語がそのまま使われることもある。将来この国の文字はどうなるだろう。 散歩道 2003.11月号 66 万国タクシー術  夜遅くアテネ空港に着いた。ガイドブックには、空港のタクシーには気をつけろと書いてある。荷物が軽いので、二四時間運行のバスを利用した。ガイドブックにはバスの終点で客待ちをしているタクシーにも用心が必要と書いてある。なるほどすぐ近くのホテルなのにふっかける。少し歩いて流しのタクシーをひろうことにした。  すっと近づいたタクシーが、交渉する前に「乗れ」としぐさで示した。乗ってからホテル名を言ったら、やはり高い。「メーターを使ってくれ」と言ったら、「OK」と言って走りかけた。方向が違う。「申し訳ないけどホテルは近い、道を知っている」と言ったら、運転手は停車して両手を上げた。そして振り向いて「出ろ」としぐさで示した。どうやら「回り道してボロうとしたけれどだめだった」ということを、身体言語で、正直に表わしたらしい。次にひろったタクシーは、「道は知らないが、2ユーロでいい」という。安い。ところが走り出したらすぐに着いた。タクシーをひろおうと歩いているうちに、ホテルに近づいていたのだった。  日本のようにタクシーに乗って行き先だけを言う習慣にくらべると、タクシーに乗る前に料金を交渉して確かめるのは、ちゃんと談話行動を行ったぞという充実感がある。  バンコクで、タクシーをひろおうとしたときのこと。車の来る方向に橋があって、高くなっていて、遠くが見えない。橋の真ん中まで歩いていって、遠くから空車か確かめながら手を上げた。ところがどれも止まらない。ふと橋のたもとを見ると、さっき乗車拒否したはずのタクシーが止まって、こちらに手を振っている。暑いさなかに、かなわんと思ったが、歩いていって、乗り込んだ。  あとで留学生に聞いて理由が分かった。バンコクではタクシーは橋の上では止まらない。タクシーの運転手と長い間値段の交渉をしてから乗るのがあたりまえで、橋の上で止まると、危ないし、交通を妨げるのだ。  談話行動の場所についての規則といいたいが、これはバンコク特有。万国共通の慣習ではない。 散歩道 2003.10月号 65 けんかのルール  社会人入学者の修士論文の審査のときに、副査として評価にあたる教授がものすごい勢いで内容を批判しはじめた。以前に、優秀な論文を書いた留学生が修士論文審査で叱られて、泣きだし、自信を失って進学をあきらめて帰国したこともあったので、心配した。しかし主婦でもあるその学生は、落ち着いて怒鳴り声を聞き、ときどき弁明した。  あとで「よく耐えられましたね」とほめたら、「夫婦喧嘩で慣れてますから」とさらりと言ってのけた。相手に存分に言わせておいて、最後に一言いうのがコツなのだそうだ。  そういえば夫婦喧嘩の三つのタブーというのを聞いたことがある。 「相手の稼ぎをけなすな、学歴をくらべるな、自分の親族の自慢をするな」だそうである。  居合わせた中国の留学生に聞いたら、知らないという。ただ「決定的なことはいうな」とはいうそうだ。また「出て行け」は、日本ではふつう男だけがいうが、中国では女性が言うそうだ。女性が強いからだとか。  韓国では夫婦喧嘩で、相手の悪口を戸外で近所にわめきたてる。どちらが正しいか、周囲の人に判断してもらうためだそうだ。日本人と結婚し、日本でこれをやって離婚になった在日韓国人のケースもあるとか。日本では隣近所に知られないようにする。窓を密閉し、ステレオ大音響で音楽を流して、おもむろに言い争いをする夫婦もいるそうだ。  日本ではすぐ手を出すが、欧米ではことばで争う、つまり口げんかをすることが多いという。けんかにも社会言語学的なルールがあるのだ。  談話行動の研究が盛んだが、けんかの実際のデータは取りにくい。二四時間つきっきりの言語調査をした心理学者がいるが、けんかの場面は登場しなかったそうだ。ドラマなら出てくるが、日常とは違った場面設定かもしれない。  家庭内暴力(DV)が最近話題になるが、ことばからいつ暴力に移るのか、実態が分からない。誰かがちゃんとデータを分析してくれないだろうか。もっとも、文字化データを読んでも楽しくないし、実用に供したくもないが。 64 ロシア日帰りの夢  二〇〇二年フィンランドでの方言学国際会議のエクスカーションは、ロシア側のフィンランド語領域への日帰りだった。ビザを各自が自国でとれと通知があった。学会本部からの二種類の文書で「武装して」行きなさいと、書いてある。  暇を見つけてロシア大使館に足を運んだ。かなり待たされた末、文書に注文をつけられた。「ロシア領内の地名は、フィンランド風でなくロシア風に書くべきだ」という。学会本部とファクスのやりとりをしてまた大使館に出直す余裕はない。だめもとでごねることにした。<英語で「モスコウ」「セントピーターズバーグ」と書くのを許すではないか、フィンランドの書類にフィンランド語風に書いてあっても仕方がない>と主張した。しかし「それは別問題だ」と冷たく答えるだけで、らちがあかない。結局ロシア訪問はあきらめることにした。 訪問予定地はロシア・フィンランドの国境の変動のあったところだ。日本の北方領土問題があるから敏感になって、日本人を入れないのかと、考えた。  大会のときに他の日本人参加者に聞いてみた。Hさんは、つづりが問題になり、音韻論を弁じたてたがだめだったそうだ。Fさんは、ツアー番号や日程表の名前が問題になったが、旅行社の人が書類を作り直してセーフだったそうだ。  学会本部の人に、ビザをとれなかった人がどれくらいいたか、確かめた。日本以外にカナダとベルギーの参加者がひっかかったとか。他の国の人もあきらめたと、その後分かった。日本の領土問題が原因ではなさそうだ。  カナダのは、高名な社会言語学者の夫妻である。Hさんと、なぜロシアがきびしいのか、論じたそうだ。  <書類の不備をついて、書き直させれば、日が経ち、直前作成の手数料になって、収入が多くなる>という、うがった解釈だった。そういえば、手数料は一週間後交付と一日後交付では段違いで、五倍になるし、書き直しも追加料金である。  「さすが、カナダの社会言語学者は社会への洞察がすばらしい」とほめたら、実は奥さんの意見とのことだった。  さてエクスカーションの当日、一行は夜遅く帰ってきた。行きも帰りも国境で一時間半ずつかけて、丁寧に書類審査が行われたとかで、ブーブー言っていたが、ロシアに行けなかった我々は、「帰れてよかったですね」と、なぐさめ(?)た。 63 方言観察   旅行のたびに、土産店などで方言にまつわる品を手に入れるのが、趣味である。全国各地のを集めて地図化したら一定の傾向が浮かび出た。方言みやげが作られる要因は、まず方言に特殊性があること、それから観光客が多いことらしい。  現物を全部そろえるのが理想だが、方言茶碗のように色違いがたくさんあるときは、一部分を買うだけで、あとは写真の記録ですませることになる。ことにお菓子などだとかさばるし、どうせ包装と中身を一緒に冷凍庫に永久保存する気はない。  いつか山口市で学会があったとき、夜は何も行事がなかったので、土産物店を回って方言関係の品物を探した。駄菓子の袋に一語ずつ山口方言の名前をつけているのを見つけた。全種類買いそろえると大変な量になる。方言一語あたり数百円の買い物だ。そこで一袋だけ買って、ほかのは写真に撮らせてくれと、頼んだ。  ずうずうしいかと迷い、申し訳ないと思ったが、店の主人は気軽に応じて、並べ変えてくれようとする。 「いや、そんな手間をかけなくても結構です」と遠慮して言ったが、きれいに並べてくれた。  さて、翌日社会言語学者Sさんに会ったら、 「井上さん、お菓子の写真を撮っていたでしょう」という。何でも店の外を歩いていて、井上の異様な?振る舞いに気づいて、立ち止まったそうだ。方言の研究者はどんなふうに行動するかを、外からずっと観察していたというのだ。  ところが数週間後その社会言語学者に会ったら、後日談があると、教えてくれた。そのときに、某国立機関の研究者は、社会言語学者Sさんが店の中をのぞきこんでいるのに気づき、社会言語学者はどういうふうに行動を観察するのだろうと、眺めていたというのだ。  落語の小話を思い出す。 「世の中暇な人がいるもんだねー、釣りをしてる人をいちんちじゅう眺めている人がいるんだよ」 「お前は何をしてたんだ」 「その人をいちんちじゅう見てた」 62 AV教材  ヨーロッパの日本語学者が、酒の席で体験談を披露してくれた。  日本に行って、大阪心斎橋を夫婦で歩いていたら、奥さんに声をかける人がいた。「美人だからテレビに出てくれ」という話だった。面白そうなので二人でついていったら、狭い事務所に連れ込まれた。事務所の人が「ご主人もけっこうハンサムだから二人でどうか」という。聞いてみたらAVだという。母国の大学で日本語を教えているから、当然オーディオヴィジュアルの教材作成だと思って、承知した。  しかし詳しく打ち合わせているうちに、様子がおかしいのに気がついた。そういえばAVはアダルトビデオの意味でも使われることを思い出して、あわてて逃げ出したそうだ。  その話を聞いたあと、酒席は盛り上がった。「それは残念でした。大阪に行った留学生がビデオを見て、先生だと気づいたかも知れないのに」という教授。「先生が作ったほかの日本語教材よりずっと役立ったかも知れないです」という講師。  同じ発音のことばができて、誤解を起こす現象を同音衝突という。同じ文脈で使われるものは、ほかの言い方に言いかえられる。「市立」と「私立」、「科学」と「化学」などである。同音衝突が起こったときに、片方がタブー語だとまともな方が消えるという例は、言語学の古典にも書いてある。AVもその例のはずだ。しかし我が大学の「視聴覚教育センター」の通称は、かつての「LL教室」から、「AVセンター」に変わった。逆方向の変化である。きっと変な連想をしない品行方正な聖人君子の集団だからだろう。なにしろ「教師は聖職」だし。  大学のAVセンターでも、本当の(?)AVテープを並べたら利用者が増えるだろう。語学習得のためには、好きな作品を辞書なしで読むといい、推理小説でもポルノ小説でもいいと、かつて言語学者でもある某神父様が書いたくらいである。中身にひかれて外国語に接する機会が増えるのはいい。もっとも外国語が聞こえてきても上の空で、特殊な非言語行動だけに注意がいっては困るが。 61 誰が亡くなったか   出張から帰ったら、娘が声をひそめて「おととい隣の----ちゃんが亡くなったよ」という。葬儀はこれからなのか、終わったのか、香典はどうしよう、と気になる。しかし隣の家で「---ちゃん」と呼ばれそうな人は知らない。あわてて聞き返した。「えっ、だ、だれ?」答えは意外だった。「むくちゃん、隣の犬だよ」。がっくりきた。  誤解の原因はいろいろある。まず犬に「ちゃん」は付けない。それに「亡くなる」は動物には使わない。人間でも真人間にだけ使うようで、「凶悪犯が逃亡の途中で亡くなった」とは言わない。  思い出した。数年前某テレビ会社の看板アナから電話があった。なんでもニュースの最中に飛び込みでメモが入ったので、上野公園のパンダが「亡くなった」と言ってしまったということだった。この件で、お叱りを受けるのではないか、降ろされるのではないかと考えて、理論武装したいとのことだった。以前に番組の中で「敬意低減の法則」などと言ったのを覚えていてくれたのだ。 「将来は「亡くなった」はペットに拡大することも考えられる」と答えておいたが、今はダメと言ったも同然だから、なぐさめにはならなかっただろう。  しかし翌日永六輔が番組の中で ほめたそうだ。国民のとらえ方に合うというのだ。さすがと、感心した。  我が娘のために弁護すると、動物が「亡くなる」の用例はある。Googleでインターネットの検索をすると、「犬・猫・馬が亡くな」るという例が数件ずつ出た。「死ぬ、死亡する」に比べると一桁少ないが、使う人がいるのだ。しかしパンダや牛、虫は「亡くな」の用例ゼロ。人間でも犯人・罪人は用例なし。「死ぬ・死亡する」だ。  どの動詞を使うかで生き物に階層がある。そして用法が下へと拡大しつつある。(犬に)「アゲル」などと似た「敬意低減の法則」があてはまるわけだ。 60 映画ポリグロット  ミャンマーからの外国人教師と話す機会があった。ちょうど再放映中の「おしん」の話になり、二人ともファンであることが分かって、意気投合した。商売っ気が出て、「おしん」の登場人物の方言をビルマ語の方言に訳すことをしたかと尋ねた。意外な返事で、そんな苦労はなかったという。  なんでも放映したのは十年ほど前で(NHK『20世紀放送史』によれば一九九五年)、そのころは日本語版をそのまま放映し、字幕も吹き替えもなしだったという。筋が分かったのかと心配して聞いたら、子供向けの絵のついた物語があったし、内容をビルマ語で書いた本もあって、回し読みして、内容を覚えては、テレビを見たそうだ。説明が手に入らないときは、ただ画面を見、日本語の音声を聞いたが、それでも筋は分かったそうだ。形容矛盾だが、「音声付きの無声映画」を見ているような感じなのだろう。  最近までテレビ局は一つで、視聴者サービスは不十分だったようだ。外国映画のビデオなども字幕なしで見るそうだが、英語が分からなくとも、ちゃんと鑑賞できたそうだ。  それを聞いて思いついた。同じことは世界の諸言語についてやれるに違いない。各国の映画をみて、ちゃんと他の人に筋の説明ができるはずだ。いかにもことばが分かっているふうに見せかけて、「おれはポリグロットなんだあ」と自慢できそうだ。そう思わせても、大して得にはならないだろうが。  その話を通訳していたビルマ語専攻の大学院生が、通訳をやめて自分のことを話しはじめた。ミャンマーに行ってしばらくたって、ビルマ映画を見た。内容がかなり分かったので、ビルマ語の実力がついたと喜んだ。ところがそのあとインド映画を吹き替えなしで見たら、やっぱりよく分かったそうである。  言語情報と非言語情報を比べて、半分以上の情報は非言語の形で伝わるという研究があるが、まさにその適例である。 59 外国人と子供  ある人が体験談を披露してくれた。イギリスの空港で腰掛けて待っていたときのこと。向かいに日本おばさん二人がかけていた。一人が荷物をおいて立ち上がってどこかに行った。そのとなりは空席。そこにイギリスおばさんが二人来た。二人並んで座りたいのだろう。日本おばさんに尋ねている。荷物のおいてある席があいているか聞いているらしい。日本おばさんが何か言ったが通じない。イギリスおばさんは「アイ ベッグ ユア パードン」と言った。そしたら日本おばさんは、ゆっくり、はっきり、日本語で「こ、こ、き、ま、す。」と言ったのだそうだ。ちゃんと通じて、イギリスおばさん二人は、荷物のそばの空席と向かいの空席に分かれてすわったそうだ。  相手の分かることばを無理に使う必要はないわけだ。  そういえばモスクワのトレチャコフ美術館に行こうとしたときに、似た経験をした。手元の地図では近いので、歩きはじめて、途中で気づいた。モスクワは大都市で、1ブロックがやけに大きい。歩くには遠すぎる。途中までのバスがないかと思い、バス停で身振り手振りと英語で尋ねてみた。通じる人はいないようだ。あきらめかけたら、中年女性が乗り出して、こちらの腕をとり、ゆっくりとロシア語で説明しはじめた。どうも道路の下をくぐり、向こうの橋を渡ると、斜めの近道があるらしい。建物の方向も分かった。「こちらはバスを探しているんだけど」と、とまどっていると、その中年女性は、もう一度ゆっくりと繰り返した。ロシア語の中身はちんぷんかんぷんだったが、道順はよく分かった。礼をねんごろに言って、歩いた。実に、実に、いい運動になった。  思えば、あの話し方はどうも、だだをこねている子に、「こうすればいいのよ」と辛抱強く教えさとす調子に似ていた。  外国人向けの簡略化した話し方をフォリナートークという。幼児向けのベビートークと似た点がある。外国人と子供はよく言語行動面で同じように扱われるが、その典型だ。  外国語教師に女性が多く、その教え方が上手だとしたら、母親としての言語行動を、若いときから、身につけていたせいだろう。要するに学生は赤ん坊扱いなのだ。 58 届かない手紙    方言調査の礼状を出した。数日たって一通が戻ってきた。I県M局の赤いスタンプが押してあり「転送期間経過のためお返しします」と書いてある。宛先は市の公民館。そこに調査に行った大学院生に話を聞いたら、「実際にそこに尋ねて行った。地図のとおりだったから、届かないはずがない」という。しかし、出し直さなければならない。公民館に電話をかけて、住所を確かめた。公民館は移転したが別の機関が入っているということだった。礼状の切手代より電話代が高くつくんじゃないかと心配になったが、新しい住所を聞き出した。  返送の事情が分かるようにと、赤で住所を訂正し、また切手を貼って、投函した。ところが数日後同じ手紙が返送されてきた。やはり「転送期間経過のためお返しします」のスタンプが押してある。共同調査にあたった大学院生たちと、いろいろ話した。「新住所が書いてあるのに返るのは変だ」「そもそも公共機関あてなのに返ってくるのはおかしい」「やっぱり民営化すべきだ」などという。  ふといたずら心が頭をもたげた。戻るのは、差出人の住所が分かるからだ。何も書かずに投函したら、絶対に戻らない。何も書いてない封筒に入れて、I県M局の郵便局長あてにし、2度も切手を貼って投函した事情を記した紙も入れて、発送した。  そういえばイギリスにいたときに、郵便物の差出人を書かないのに驚いた。日本で英語の手紙の書き方を教えるときには、差出人の住所を左上に書くと教えるのに、本場では守っていない。  郵便もコミュニケーション行動の一つ。差出人のない手紙は発言者不明のことばのようなもので、不自然だ。しかしまた戻ってはかなわない。  さて、その後I県M局からも公民館からも連絡がない。便りのないのはいい便り。無事に届いたと考えることにした。  でも礼状でよかった。調査の依頼状だとしたら、間に合わずに電話・faxで大騒ぎだったろう。  郵便が民営化されれば、こんなスリルはなくなるだろうか。楽しみにしよう。 57 ケセン語聖書   山浦玄嗣(はるつぐ)氏から大きな包みが届いた。お医者さんからだから、薬かなと思った。「口が悪い」のを直す薬は、前からほしかった。しかし開けてみたら本だった。かねてから、岩手県気仙地方のことばについて、さまざまな本を出版しておられるが、また新しい本が出たのだ。今回出たのはケセン語の聖書である。「マタイ伝」「マタイによる福音書」が「マッテァがたより」として訳された。 話し言葉的な訳で、分かりやすい。例えばマタイ伝一五章二五節の女のことばは、「主よ、私をお助けください」と、淡白である。しかし、ケセン語訳ではこうなる(普通のかな文字に置き換えた。) 「旦那(だな)様(さま)んすゥ、如何(なぞ)にが助(たす)けでくなはりゃんせ!」  見開き頁に同じことばがケセン語のローマ字表記でも書いてある。補助記号なしで記すと、こうなる。 “Danasama nsi, nazo ni ga tasiker de kunahari anse!”  この表現だと、娘を救おうとする請い願う女の、情の強さが出ている。  さらにCDで、本人の朗読が付いている。単なる読み上げではない。演技を加え、臨場感がある。キリストの語り、弟子たちのことば、慈悲にすがる人の声が、現実感を伝える。迫力十分で、その場の様子が目に浮かぶほどである。聖書がこれほど劇的で面白いものかと、生まれてはじめて知った。  生まれが山形県なので岩手のことばに近い。ケセン語に近いことばを話す幸せを感じ、至福の時をすごした。ルターの聖書訳を読んだドイツの農民の感動が分かった気さえした。  分かりやすい表現で、印象的な訳語を活用しているためだろう。ことばが、残響のように頭に残る。消えない。だから「消セン」語と名づけたのかなと思ったほどだ。  残念ながら、一般書店では入手しにくい。大船渡市の「イー・ピックス」という会社にFAXするのが早いらしい(〇一九二-二六-三三四四)。三〇〇ページ以上の本にCD三枚が付いて五六〇〇円。お医者さんからの心の薬と考え、その開発努力を思えば、破格の値段である。 56 スロベニアのガイド  スロベニアを訪れることになった。そんな国は知らない。旧ユーゴの北の新独立国と分かって安心した。少し早めに着いたら、仕事の前に、ちょうど週一度の英語ウォーキングガイドがあるというので、参加した。  日本からの参加を「国際的だ」と喜んでくれた。スロベニアの首都リュブリャナの街を国際的だと自画自賛したので、「いい英語のガイドもいますからね」と茶々を入れたら、「ドイツ語・フランス語などのほかに日本語のガイドもいます」と笑顔で応じる。  面白いエピソードを入れ、なかなか詳しい。途中のレストランを指して、「これまでこのレストランを勧めていたけど、入ってみたら高いし量は少ないので勧めない」と言った。  お別れのときにアメリカ人らしい観光客がチップを渡している。ほかの人は渡さない。この純朴な国にチップの習慣を広げるべきか迷ったが、お金とことばの両方で感謝の心を伝えることにした。(つまりお金はアメリカ人観光客のお札の色から判断した額の半分、お礼のことばは数倍の量と質。)「勧めないレストランを教えてくれたガイドは生まれて初めてだ」と言ったら、笑ってくれた。  「幸せな生活をお祈りします」と言って別れようとしたら「とんでもない」という返事が返ってきた。「私はこの国を出たい」という。「さっきこの国をほめたじゃないですか」と言ったら、「あれは観光客にとっていい街だと言ったので、自国民が暮らすにはよくない」と、所得格差の話などが始まった。それでやっとこの国の事情が分かった気がした。「さっきの観光説明もよかったが、今の説明はもっとよかった、本当にうれしい」と、今度は心からお礼を言えた。相手も満ち足りた表情だった。「この国は発展すると思います」、「私もそう期待します」という会話を最後に別れた。  セルビア語との二重言語生活を解消し、かつてのユーゴスラビアからスロベニア語使用圏だけで独立を果たしたわけだが、経済的発展の道は厳しいようだった。 55 フィンランドのワイン  フィンランドでの方言学国際会議の最終日、夕方波止場でワインフェスティバルがあると言うので、日本からの参加者がそろってでかけた。船の甲板で飲んでいたら、地元新聞の記者とカメラマンが来て、取材したいという。  若い人たちは英語が達者である。やりとりをはたで聞いていた。カメラマンは日本から参加した二人の女性を中心にたくさん撮影している。こちらは、発表も終わり、最終日の司会も終わったので、すべてお任せで、ワインの味を楽しんでいた。カメラマンが帰ったあと、「井上先生の写真も横から撮っていましたよ」という。デジタルカメラだったのだろうか、シャッター音にはまったく気づかなかった。翌朝どの写真が載るかが、さっそく酒の肴になった。ほぼ全員が、女性中心の日本人一行の写真が載ると予測した。  翌朝郊外へのエクスカーションの途中で若い女性が話しかけてきた。「あなたは日本から来たか」「昨夜ワインフェスティバルに行ったか」と聞く。イエスと答えると、「地元の新聞に載ったのは多分あなたの写真だと思う」とのことだった。  夕方ホテルに帰り着くと、フロントの女性が問題の写真を渡してくれた。 いつも泊まり客の記事を探しているとか。国際会議初日には、主催校の教授や国際会議の実質的主要メンバーのまじめな写真が載ったそうだ。最終日にアジアからの中年男がワイングラスをぐいと空けているシーンが出たわけだ。  帰国後フィンランド人に記事コピーを送って、訳してもらった。同席のMさんが「毎晩酒を飲んだ」と語ったことになっていた。それで分かった。フロントの女性は「一体どんな会議だったんでしょうね」と、笑いながら言っていたのだ。 そのあとフィンランドからの研究者に会って、この話をした。彼女は、ヨエンスウでの会議と聞いて心配したそうだ。何でもここで数年前にスキンヘッドの右翼青年によるアジア人暴行事件があったのだそうだ。新聞にアジアからの国際会議参加者を載せたのは、民衆啓蒙的な意味があったのかもしれない。もっともその男(たち)があたかも飲んだくれであるかのように見えたのは、逆効果だったかもしれないが。 散歩道 2002.11月号 54 さくらのくるいざき  ちかごろ世の中トラブル続き。電力会社は原発のトラブルを隠していたし、外務省は北朝鮮に拉致された人の死亡年月日を伝えなかった。どうも情報が隠されることが多い。  ところで先日、北海道の方言調査の折りに、NHK札幌局の昼前のテレビ番組に出演する機会があった。リハーサルの最中に、ローカル番組短縮の指示があった。なんでも朝の人気番組「さくら」で、翌日分を放送してしまったので、お詫びを1分間放送するという。前代未聞の珍事にちょうど居合わせたということで、こちらは単純に面白がった。自分の出演分だけでなく、そのあとのお詫びも録画してくださいと依頼した。お詫びの方が価値があるだろうからと断ったら、案の定返答に窮していた。でもキャスターは「大変ね。気の毒に、処分が出るかもしれない」とつぶやいた。情の厚い人だ。  なんでも現場のスタッフは番組最後の「シーユーネクストウィーク」のせりふが出て、はじめて間違いに気づいたとか。新聞にも記事が出たし、ファミリーレストランでも話題にしていた。  次の日の朝、飛ばされた一四九回と、繰り返しの一五〇回を続けて見た。ストーリーにたいした影響はない。そもそも連続ドラマは、見逃してもストーリーがわかるように、ゆるやかに作ってあるのだ。それが視聴者にもよく分かったはずだ。先にストーリー展開を知っていて見る楽しさを味わえたとも言える。  視聴者センターに午前中だけで三〇〇〇件の苦情や問い合わせがあったというが、あまりにも融通かきかない。視聴者にもゆとりがほしい。本物の桜にだって狂い咲きがあることだし(あまり関係ないか)。  また関係者4人を処分したというのも、了見が狭い。世間で情報を隠そうとする風潮の盛んなとき、翌日のストーリーを先に見せたのは、むしろほめたたえるべき行動である。情報公開奨励賞かユーモア大賞を出して、表彰したいくらいである。  もっとも、推理ものの連続ドラマでだけは、やってほしくないが。 53 最新の角筆  角(かく)筆(ひつ)はあまり知られていない。この発見の話を聞いて昔感動したものである。古文書の解読をしていたら、紙にくぼみがある。光を横からあててみたら、漢文を訓読するための記号(訓点)や文字が書いてあった、というのだ。新しい言語資料の発見である。  その後角筆文献は、平安時代だけでなく、近世以降も、さらに近代まで、日本各地で使われていたことが、組織的な調査で明らかになったという。地方史家や古本屋に知られれば、もっと見つかる可能性がある。  先頃北陸に行き、小松市の「北前船の里」資料館を訪ねた。明治時代の電報略号表が展示してあったが、それに角筆らしきくぼみがある。明治三四年に印刷された略号表を変えて、仲間内で使ったらしい。ただくぼみが細いので、鉄か何かの固い鋭いもので書いたらしい。ガリ版用の鉄筆などだろうか。  しばらくして国語学会があったので、この分野の開拓者の小林芳則先生に伺った。まず筆記用具がつの製のものだけを角筆というか聞いたら、「今はそれ以外のものも指す」ということだった。それならば北前舟資料館のは合格だ。もしかして一番新しい角筆かもしれない。「一番最近の資料は何ですか」と聞いたら、大正三年の沖縄県の学者東恩納(ひがしおんな)寛(かん)淳(じゅん)のものだという。残念ながら、北前船のは最新のものとはいえない。  しかしふと思いついた。実はメモ用紙をいつも持ち歩き、枕元にも置き、思いついたことをメモする。あおむけに書いたりしてボールペンのインクが切れたときは、強く書いて凹みをつける。あとで解読するのに苦労するが、それはボールペンの悪筆でも同様である。これは角筆文書と同じだ。  つぎに小林先生に会ったときに「もっと新しい角筆文書がありますよ」と言って、自分の前の晩のメモカードをお見せしたらどうだろうと、考えた。温厚な先生のことだから笑ってすませるかもしれない。しかしまじめな人に知られて、以後学会出入り差し止めになったら困るので、やめにした。 散歩道 2002.9月号 52 宮殿のトイレ  ベルリンでの国際会議のエクスカーションでサンスーシ宮殿に行ったときのこと。観光ガイドが説明を一通り終えて、「何か質問はありませんか」と聞いた。そばにいた女性の参加者が、何か小さな声で尋ねた。ガイドはそれを聞いて、我が意を得たりというふうに大きくうなずいて、説明を始めた。当時の宮殿にはトイレの設備がなくて、便器を使ったとか、屋外で用を足したとか、長々と説明した。  ながーい説明が終わると、さきほどの女性客はもう一度ガイドに小さな声で聞いた。ガイドはちょっと驚いた顔をして、宮殿の後ろの方を指さした。女性客は小走りに去った。  あとでその方向に行ったら、公衆トイレがあった。それで事情が分かった。ガイドの説明のあと、女性客は、公衆トイレの位置を尋ねたのだろう。多分「トイレはどこですか」のような簡単な質問だったに違いない。ガイドはその質問の意図を取り違えて、お得意の知識を披露したのだろう。  こんな誤解を避けるためにはどうしたらいいだろう。  身をよじらせ、絶え入りそうな声で、恥ずかしそうに「トイレはどこですか」と聞けば、ガイドも気づいた可能性がある。しかしグループの面前では、はしたない。  「公衆トイレはどこですか」は直接すぎるが、これでも誤解される恐れがある。ガイドブックには、ぼかして「どこで私の手を洗えますか」と尋ねる方がいいと、書いてある。これならあのような誤解は起きないだろう。  発せられたことばは同じでも、背後の意図はさまざまだ。受け取る側も、相手の考えを推測する能力が必要だ。こういうのが社会言語学的ルールなのだろう。 51 東欧の日本学  ハンガリーから足を伸ばして、東欧某国の日本語学者に会った。「ペレストロイカ以降何が変わりましたか」と聞いたら、「私にとっては大きな変化でした」と答えた。以前に何度か国際交流基金の招待で日本に行く話が出たが、国外に出る許可が出なかったとか。  「頭脳流出を恐れたんでしょう」とか「国家機密を知ってたんじゃないですか」と言ったが、そうではないそうだ。日本に行くために共産党員になるのも気が進まなかったそうだ。  そこでロシアアネクドートを思い出して、一席披露した。  大声をあげていた酔っぱらいが警官につかまった。そこで「おれは酔っぱらって、ロシアの大統領はバカだと言っただけだ」と抗議した。警官は冷たく言った。「お前は国家の重大機密をもらした」。  その日本語学者はこれを聞いて吹き出したあと、「そういう話は、私はたくさん知っています」と答えた。そこですかさず言った。「あ、だから日本に出ることが出来なかったんでしょ。」  しかし惜しいことをした。「例えばどんなのですか」と尋ねて、時間をかけてアネクドートをたくさん聞いてからにすればよかった。  大学から外に出て一緒に歩いていくと物乞いがいる。日本語学者をなぐさめるつもりで、「一九八九年より前には、乞食はいなかったんでしょうね」と言ったら、彼はわざと重々しく首を振って答えた。「みんなが乞食でした」。  その日本語学者は、日本にいるあいだにたくさんの本を買い、自宅に置いてあるという。本の置き場を確保するために郊外に住み、長い通勤時間をかけているということだった。  それにしてもかつて日本に行くこともできなかった国から、今は訪日が可能になった。費用は国際交流基金。日本語に対する国家予算の使い方として有効だと思った。 散歩道 2002.7月号 50 日本語スピーチ  ハンガリー滞在中日本語スピーチコンテストを見物した。同時多発テロ直後で、招待券持参の人しか入れないという厳戒ぶりだったが、満員の盛況だった。  ハンガリーの日本語教育事情を反映して、小学生や高校生も登場した。中でこんなエピソードを紹介した女の子がいた。  高校で日本語を習っている。日本語の出会いのあいさつは「アイシテマス」だとボーイフレンドに教えたら、会うたびに「アイシテマス」と言ってくれた。今はボーイフレンドも日本語が分かってきて、「アイシテマス」の本当の意味を知っている。しかし今でも「アイシテマス」と言ってくれる。  ことばの機能を考えるのにいい、ほほえましい話題だった。  この人を含め、女性が上位に入賞した。コンテストのあと、中年男どもがビールを飲んで、感想を語り合った。審査員が男だとかわいい女の子に甘くなるのではないか、というセクハラまがいの話題が出た。そんなことは断じてないと主張する人はだれもいない(恥ずかしながら、自分も含めて)。むしろ防止策に話題が発展した。  前にスクリーンをおいて、顔が見えないようにすればいいというアイデアが出た。しかしこれだとパフォーマンスが見えない。例えば、ことばを学ぶのに日本人の友達と酒を飲んだのが役立ったという話で、「辞書よりもビールが重要です」といいながら、隠し持っていた辞書と缶ビールを差し出すという芸当ができない。  「アフガニスタンの女性のように、ブルカをかぶったら」という案が出て、笑いの賛同がえられた。  しかし酔いからさめて考えてみると、これでは表情が見えない。「あのやさしい日本語の先生にまた会いたいです」というときの遠い視線、日本での経験を語るときの目の輝きが伝わらない。スピーチコンテストでも、ことば以外の情報が大事だという結論になった。 散歩道 2002.5月号 49ハンガリーの地下鉄  ハンガリー語を習う暇もなく赴任した。それなら数ヶ月の滞在で必要に応じて覚えるとどんなふうになるかを体験しようと考えた。幼児の習得を追体験できるかもしれない。帰るときにハンガリー語がどの程度身についているかを、同じ内容でくらべようと考えた。  文字に書かれたものについえては、街頭のさまざまな表示を基準にした。しかし多言語表示で見当がついたし、気になる単語は辞書で引いたから、幼児と違うルートでかなり覚えた。買い物でも商品などの多言語表示に救われた。  ハンガリーでは一九九一年の民主化以降言語の人気が大きく変わった。高校の外国語選択はロシア語がかつては第1位だったが、実はハンガリー人は前からロシア嫌いだったそうで、ロシア語をまじめに勉強しなかったという。民主化の数年後には英語選択が第1位になった。現在の多言語表示も英語が圧倒的である。  音声だけのいい比較材料はブダペスト地下鉄の車内アナウンスだと考えた。これはハンガリー語だけである。はじめは聞き取れなかったが、慣れたら分かるだろう。実際「ドアが閉まります」だろうと見当がつくと、「閉まる」は聞き取れた。しかし他は分からない。  帰国するまぎわになって、ゼミの学生に聞いたが、学生も「気にしたことがない」「気をつけて聞いたことがない」「何と言ってるか知らない」「地下鉄はやかましいのでよく聞こえない」といった具合で、はなはだ心もとない。話しているうちに、ある学生が「地下鉄はロシア製ですから、音もよくないです」といったので大笑いになった。  あとで思い出して「面白いジョークだったね」とほめたら、その学生はまじめな顔で答えた。「あれはジョークではありません」 散歩道 2002.5月号 48 笑顔は国際語  ブダペストでオーケストラを聞いた。おなじみベートーベンの第九である。四人のソリストが途中で登場したが、そのうち一人が満面に笑みを浮かべている。他の3人は緊張した面持ちで、ベートーベンの有名な肖像画をそのまま演奏会場に持ち込んだような固い表情なので、彼女の笑みはよけい目立った。ふと、「歓喜の歌」で「フロイデ」(よろこび)と歌い上げることに気づいた。これは楽しく歌う曲なんですよ、と会場に示しているのかも知れない。こちらも笑みを浮かべながら、ゆったりと聞くようにした。そう思って聞くと、彼女の重唱部分はみごとで、感動的でさえあった。  思い出してみると、年末に日本の交響楽団の演奏で、有名な指揮者のも聞いたが、「第九」の曲の楽しさには気づかなかった。演奏者がいかにも楽しそうに弾くのも、見たことがない。  そのあとオーケストラのバイオリン奏者でもある日本学者に会って、話してみた。演奏のときに感情を表情に出すことは許されるということだった。ただ動作に極端に出すのは避けるそうだ。  ブダペストのは、ワインフェスティバルのギャラコンサートだったせいか、指揮者と演奏者には花束でなく箱が渡された。多分ワインだろう。順番を変えて、はじめる前に全員がワインをきこしめし、楽しく第九を歌ったらどうだろう。ついでに観客にも振る舞えば、もっと楽しめる。楽団員のちょっとしたミスにも寛大になれる。  あのしかめ面のベートーベンはどんな意図で第九を作曲したのだろう。ワインを飲んで楽しく歌うのは、冒涜だろうか。  音楽は世界の共通語という。言語は(英語でさえも)その通用範囲の広さには及ばない。しかし本当の国際語・人類共通語は表情、しかも笑顔ではないだろうか。 散歩道 2002.4月号 47 ハンガリーの言語景観  ブダペストの空港を出ると、街の表示はハンガリー語だらけだった。アルファベットとしては読めるのに、意味が分からない。英語はあまり見当たらず、極端な単言語の言語景観と、目に映った。  しかしホテルに着くと事情が違った。観光客向けのパンフレットは大変な多言語である。何しろ三〇言語でアナウンスの流れる観光船もある。さっそくパンフレット類を集めて、パソコンに入れて集計した。言語の組み合わせの種類を数え、使われた言語をみると、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語の順で、日本語は六番目だった。これは旅行者向けの多言語である。  数日後アパートに移り、近くのスーパーで買い物をして驚いた。成分表示などが多言語だが、組み合わせが違う。旧東欧圏の諸言語を並べた商品が多い。滞在中できるだけ別の品を買うようにして、言語の組み合わせをパソコンに入力した。ハンガリー語、英語、ドイツ語の次ぎにチェコ語、ポーランド語、ロシア語、クロアチア語が多い。国内約一〇〇〇万人の市場では狭すぎて、旧東欧圏全体を対象にした商品があふれているのだ。日本語は見当たらない。これは生活者向けの多言語である。色々な商品で珍しい言語の実例を観察するのは楽しかった。  ところが四つ目のパターンがあった。ハンガリー国鉄の車体の注意表示は露・独・仏・伊とハンガリー語だった。英語がないっ!ペレストロイカ以前、民主化以前の言語景観を残すのだろう。トイレの「停車中は使用禁止」の表示も同じ組み合わせである。もっとも何カ国語で書いても、この表示に効果がないことは、ホームから線路をみると、白いトイレットペーパーが落ちていることで分かる。ただしこの方面の観察はあまり楽しいものではない。 散歩道 2002.2月号 46 要約筆記  ハンガリーに着いてすぐに、方言学の大会があると、旧知の研究者が教えたくれた。参加したいと言ったら、相手は「発表はハンガリー語だけだが、あなたはできない。内容が分かるか」と確認した。「地図やグラフを見て、術語を聞けば内容は見当がつく。それに日本語の発表だって理解できないものがある。」と答えたら、「それはハンガリーでも同様である」と言って、参加手続きをしてくれた。  ただ見て、聞いているだけでも勉強になると思ったが、主催者が気づいて、午後から通訳をつけるという。それでは迷惑がかかるからお気遣いなくと言ったが、ちゃんと午後通訳が現れた。英語の教師をしているが、英語を活用する機会がないから、させてほしい、と泣かせることをいう。  大変な美人で、世話してくれたハンガリーの研究者が「通訳者を楽しみなさい、ジョークだけど」と言ったくらいである。「通訳者よりも発表内容が重要である」と重々しく答えたつもりだが、もちろん表情に出ていたのだろう。  狭い会場で訳す声が聞こえると迷惑がかかる。そこで、彼女が英語でノートをとるという方法をとった。こちらは横からのぞいて読むしくみだ。ハンガリー語の発表内容を英語で要約するのだが、実にみごとだった。ときどきは「今は例をあげている」とささやいて、休みをとる。  同時通訳を使う国際会議に出たことがあるが、とばしたり、訳が不正確だったり、専門語が誤訳されたりで、情報量が多いわりに内容がつかみにくかった。今回の要約筆記は、必要な情報だけが伝わる。しかも記録が残る。OHPを使えば大勢の国際会議にも使える。短い体験だったが、よい教訓が得られた。 散歩道 2001.9月号 45 南洋のロマンチスト  学生時代、旧南洋諸島(当時アメリカ委任統治のミクロネシア)に行ったことがある。第一次大戦以降の日本語教育のおかげで日本語の上手な人がいたので、中年以上とは日本語で話せたし、若い人とは英語で話し合えた。ゾーリ、サシミなど、外来語の反対の「外行語」が使われるのも面白かった。  ホテルに帰って、ビールを飲んでいたら、二人の男がそばに寄って来て、話しかけて家に誘う。「戦時中の日本軍の残虐行為を恨みに思っている人もいるから夜は出歩くな」と、忠告を受けていたので、襲われるのではないかと思った。一人は先に帰った。残ったのは悪い人ではないらしい。ホテルの従業員も無関心である。  好奇心もあって、家について行った。母屋の大家族の目の前を通って入ると、差し掛けのトタン屋根の部屋だった。家具らしきものもろくにない小部屋での一人暮らしだった。  片言の日本語で語る中身を推測し、長い時間をかけてやっと意図が分かった。なんでも戦時中に日本人女性と結婚したが、敗戦で日本国籍を持つ女性のみが帰国し、本人は引き離されて、島に残されたということだった。女性は九州にいるらしいから、探してくれということだった。日本人が島に来るのを待っていたのだろう。  帰国後色々考えた。新聞に投書しようか、また旧南洋からの帰還者組織に連絡をとろうか。しかし探さなかった。戦後二五年、女性の方にかつての夫を探す気があるなら、働きかけているはずだ。そうしないからにはきっとその女性にも事情があるのだろう。今は家庭があるかも知れない。騒がせてはいけないと判断した。  男はいつもロマンチスト。別れた女を思って独身を貫き通したわけだ。そのときに何もしなかったのが、今でも心残りである。 散歩道 2002.1月号 45 日本語の順位  帰りの成田行きの飛行機で、隣の人が大きな日本語入門書を読んでいた。日本に赴任するのかと聞いてみたら、休暇で家族旅行をするのだという。しかし数日滞在するのに、いちいち起こりうる会話を覚えるのは負担が大きい。  16カ国語の80表現がボタンを押せば聞こえるという電子ブックを手に入れた。音声はかなりいいが、「駅はどこですか」と電子ブックの音声で尋ねても、さて、現地語での返事は分からないわけだ。実用になるのだろうか。  これだけ世界中の人が動き回ると、外国語の必要・需要が高まる。海外旅行体験のある日本人は、日本語がかなり通じるようになったとか、英語で何とか通じさせることができるという印象を持つ。観光客・日本人がよく行くところだけを回っていればそんな感じだろう。  今のところ日本語はアジアでは2番目か3,4番目の外国語の地位にあり、ヨーロッパでは4ないし8番目の言語とみてよい。これは観光地でガイドや物売りの使う言語、パンフレットや広告の使用言語を集めて計算すると見当がつく。  しかしリピーターが穴場・秘境をねらうようになるとそうは行かない。日本語はおろか英語もほとんど通じないところがある。  国家別のGNPを言語別に集計しなおすと、日本語は英語に次いで世界第2位である。ビジネスの世界でもっと日本語が使われればいいが、実際には今国際貿易はほとんど英語を共通語にしている。  救いは世界全体で学歴が上がり、相互に言語学習が盛んになることである。日本語もこれから海外でもっと通じるようになるだろう。また国内に、日本語の話せる外国人がさらに増える。「国語」が日本人だけを相手にして安住できる時代は、去ろうとしている。 散歩道 2001.12月号 44 通じることば  アムステルダムでの列車待ちの時間つぶしで、運河めぐりの観光船に乗った。  窓の外を見ては写真を撮っていたが、ふと気づくと少年が興味深そうに見ている。やがて意を決したように近づいて、英語で話しかけてきた。ちょっとことばを交わしたら、友達らしいこどもたちがわっと取り囲んで、英語でしきりに話しかける。本当はせっかく乗ったのだから、水上からの景色を楽しみたかったが、すげなく追い払うわけには行かない。聞いてみると、イタリア人で、北欧を自転車で回る団体ツアーなのだそうだ。  船内には欧米人が大勢乗っている。しかしイタリア語以外のことばを習ったおかげでエキゾチックな国の人と話せるのが楽しいらしい。ヨーロッパ諸国の人との話は恐らく十分に楽しんだのだろう。こちらに興味を覚えたのは、要するに、習いたての英語で、アジアの人間と話せるかららしい。  イタリア人ならあの笑顔と大げさなみぶりで、どんな国籍の人とでも話を通じさせるのではないかと思ってしまう。イタリア人は海に落ちても二人が落ちてお互いに話している限りは、水に沈まないというジョークさえある。  英語は今や国際共通語と言われる。イタリア人は、外国語嫌いとも言われ、フランス語の方が優位とされていたが、今は英語教育が盛んになっている。そしてこどもたちが自由なコミュニケーションを楽しんでいる。世界中が英語の方向に向かって動いている。  最近十年間の方言学の国際会議の発表内容を分析したことがあった。副産物として、使用言語も分かった。各回とも開催国の近くの言語が優勢になるが、同一個人が英語以外からのちに英語の発表に切り替えた例があった。英語で発表すれば、大勢の参加者に聞いてもらえるからだろう。 散歩道 2001.11月号 43 外国語の覚え方 学生時代に色々な外国語にふれて、その言語の三つの重要表現だけは暗記しようと努めた。「今日は」「ありがとう」と「我汝を愛す」にあたる表現である。 留学生と会ったり、海外に行くようになってから、この知識はかなり役立った。ことに「ありがとう」はよく使った。 もっともタイに行ったときにデパートで使ったら、店員が面映ゆそうな顔をして、くすりと笑った。あとでタイ人の日本語の先生に尋ねてみたら、どうやら大変丁寧な感謝のことばを使ったらしい。店員に向かって「かたじけなく存じまする」といった感じのことばを言ったら、おかしい。  バルト3国を短期間で通ったときは暗記に困ったが、エストニア語の「ありがとう」は覚えやすかった。何しろ「アイタ」だから。使い慣れた自国語に近いと覚えるのは便利である。  日本語の「ありがとう」も英語国民はalligator(わに)と覚えるのだそうだ。なるほど何か助けたあと「アリゲーター」と言われれば、「ありがとう」に聞こえそうである。もっとも間違って"crocodile、crocodile"と連発して、分かってもらえなかった外人さんも居たそうである。  そういえば電話の「もしもし」もwashing machine(洗濯機)というとちゃんと通じるそうである。  同様に英語で「かゆい・ひざ・息子・彼女・行く・岩・乳母・ハッチ・行列・ユダヤ人」と暗記すると、日本語の数え方を覚えられる。itch, knee, son, she, go, rock, nanna, hatch, queue, Jewである。 それにしても、つらつら考えてみると、「我汝を愛す」にあたる各国語表現は、一度も実用に供したことがない。実用性からみたら、効率の悪い語学学習をしたものである。 散歩道 2001.10月号 42 名前の英訳  INOUEという名前は、母音が三つ続くので、英語国民には発音しにくい。電車の中でふと思いついて、In no wayとあてることにした。「決して」という意味である。  イギリスの大学にいたときに、さらに名前のFumioの方も思いついて、Fool me ohとした。l はどうせあまり響かない。合わせてFool me, oh, In no way!「決して私をバカにしないで」という文になる。研究室のドアにFumio INOUEと並べて書いておいたら、あるときドアをノックする人がいた。何でも、面白い名前なので、顔を見たかったのだそうだ。  国際会議の発表などでOHPの最初に書いて、雰囲気を和らげるために使っている。おかげで覚えてもらえる。オランダの学会では、会議終了後美術館に行った帰りに、街角のカフェでビールを飲んでいた仲間に会って、加わった。同じ行動をした参加者が次々に仲間に加わった。その一人に名刺代わりにFool me, oh, In no way!と書いた名札を見せたら、「ああ、あなたなのね」とのたまったので大笑いになった。アジアから面白い名前の人が来ていると、雑談にでも出たのだろう。  アメリカのある研究者はメールでDear In no wayと書いてよこす。さすがにDear Foolではない。  英語に発音をあてて意味のある名前は少ないだろうと思ったが、韓国に行って参った。朴さんが英語でPark Soon Youngと名乗っていた。養老の滝のような公園だろう。  この類、名前以外ならある。渋谷の果物店の包装紙にはかつて「いい友はフルーツ」と並べて Eat more fruitsと書いてあった。  また隠岐の観光のれんでWoo me war heroin a oh key not. To key got no bowl sea he got sea zoom. 云々と書いたのがあった。  日本人は、英語までもことば遊びの道具にしているわけだ。 散歩道 2001.8月号 40 察する警察   相手の気持ちを察することは人間関係で重要なことで、広い意味の敬語なのだが、警察は庶民の事情を察するとは思われていない。  こんな体験がある。あるとき帰宅したら、家内が台所で背中を向けたまま、「あんた何をやったの」と聞く。何でも警察から電話があって、「署に来るように伝えてほしい」と言われたそうだ。家内が理由を聞いても、「言えない、通勤のときに警察のそばを通るだろうから寄ってほしい」としか答えなかったそうだ。家内が亭主を疑ったのも当然だ。(幸いなことに)犯罪には身に覚えがないので、警察に寄った。  今はもう時効だろうが、容疑者のテープ2本を聞いて、方言的特徴から同一人の可能性があるか、鑑定するという仕事だった。捜査中で明らかにできない事情があったらしいが、家庭争議にまで発展するところだった。警察には庶民の事情は察してもらえないらしい。  もっともこんなことがあった。朝大学の近くをヘリが飛んで上空で何か言っている。「昨夜近くで交通事故があった。目撃者を捜している」と流している。<交通事故なんかたくさんあるじゃないか。何で特別扱いするんだ>というのが、そのときの単純な反応だった。  帰宅して新聞を見て事情を知った。盲目の母の手を引いていつも道案内をしているこどもが、ふっと手を離してどこかに行った。ドーンと音がした。母が音のしたあたりを手探りで探し、見つけたときには、その子は車にはねられて亡くなっていたというのだ。轢き逃げ。母親は道案内役の子を亡くしたわけだ。母には何も見えず、従って目撃者なし。  ヘリコプターを飛ばしたのは、警察の決断だろう。しばらくして会社員がつかまったということだった。これは警察が人々の感情を察した美挙である。 散歩道 2001.7月号 39 警察の視線  警察の「察」は「察する」である。警察官の態度・動作については「察する」ための商売柄が出ることもある。  ことばの使い方を知るために、国立国語研究所の人と山形県鶴岡市で、面接調査したことがあった。非番の警察官に自宅で面会した。調査票を見てことばについて質問し、答を待つ間は相手の顔を見るのが普通だ。目が合うと、ふつう相手は視線をそらす。ところがその警察官は目をそらさないでこちらの目を見続けた。気が弱いものだから質問しているはずのこちらが視線をそらした。その晩、宿に帰って、面白い話題として話した。そしたら、仲間の社会言語学者が同じ日にまったく同じ体験をしたという。警官二人が調査相手になり、同じ視線の使い方をしたわけだ。取り調べなどには必要な技術だろう。視線は個人の心理としては、心のやましさを反映するから相手の心理を「察する」手がかりになる。  ところが視線のあり方は、敬語とも関係する。その場で権威のある方、会話を支配する人が視線をも支配する。社長とヒラの会話で目があったときに、ヒラが視線をそらすはずである。赤ん坊は人の目を見つめる。しかし少し成長すると、電車などに乗って、他人の目を見つめてはいけないことをしつけられる。成長してこれを守らないと「ガンをつけた」と、脅されることになる。  ただし好きな人と話しているときは、お互いにじっと見つめ合うことがある(らしい)。もし警官の視線が女の子と話すときに有効だとしたら、警官は大もてのはずである。そうでないとしたら、取り調べ向けの視線とタイミングが違うのだろう。警察官の取り調べの視線をふだんの会話にまで持ち込むと、庶民は、やましいことがなくとも話しづらくなるのだ。 散歩道 2001.6月号 38 典型的な赤  交通法規では信号は「赤黄青」の三色と定めてあるが、現実の信号の色は青には見えない。白熱電球では青色を出しにくいからだそうだ。英語・中国語などでは信号の色は「緑」というそうだ。「緑十字」の例をみると、本来は「安全」と結びつく「緑」なのだろう。  日本語の「アオ」の範囲は、緑をも含む。この境界の違いに興味をもって、留学生が色彩用語の対照研究を手がけた。色名の境界だけでなく典型も調べようとした。マンセルの色名表などを使って、たくさんの色を並べた調査票を作った。試してみて、「赤」の回答に困った。どれも典型的な赤には見えない。『色の手帖』などの本で見ても、典型的な赤がない。  数週間後、社会人入学の大学院生が学童用らしい色紙セットを持ってきた。その赤を見て、これこそ本当の赤だと思った。他の日本人学生も同様の反応である。考えてみたら幼稚園・小学校以来色紙の色が赤の典型としてしみこんでいるのだ。  中国と台湾の色紙が手に入って、日本と少し色が違うと分かった。国別に典型的な赤が違うことになる。ただ日本の色紙の製造元に電話してみたら、カンで色を決めているそうで、きちんと色合いを計測しているわけではないそうだ。  さて、赤の連想はどうだろう。ロシアの国際会議のあと主催者の案内で赤の広場を訪れた。「赤」は単なる色名でなく「美しい」の意味だとの解説だった。赤旗や共産主義の連想を否定しているわけだ。  ホテルに帰る途中、狭い道の赤信号を忠実に守っていた。車は来ない。後ろの中年女性が堂々と渡って、我々にも顔を振って「渡れ」と合図した。そのあとを付いていって、「この国では今は赤いものは何でも無視されるんですね」と言って、笑いあった。 散歩道 2001.5月号 37 アジアのプロトタイプ  カイロ大学を訪れたときに「はじめてアフリカを訪れて・・・」と言ったら、「いつアフリカを訪れたんだ」と聞く。「今だ」と答えたら、相手曰く「エジプトはアフリカではない」。  フィンランドに寄ったときには、かつての留学生が博物館を案内してくれた。ある民具をみつけて、どこかで似たものを見たことがあると言ったら、「多分ヨーロッパから来たんでしょうね」と答えた。「えっフィンランドはヨーロッパじゃないんですか」と聞いたら、「本当のヨーロッパではない」とのことだった。その後色々な人に聞いてみると、イギリスは島国だし、スペインなどもはずれる。どうもフランス・ドイツあたりが典型的なヨーロッパになるらしい。  そういえば、かつて英語の論文のネイティブチェックを頼んだときに、「日本とアジアの国々」と書いたところ、「日本と他のアジアの国々」に直されたことがあった。日本でもやはりアジアとはどこか別の国をさすという意識がある。典型的な、プロトタイプとしてのアジアは、中国あたりなのだろうか。「アジア的生産様式」などともいうし。  トルコに行ったときに、飲み屋で学生とこの話をした。日本の大使がかつて「同じアジアの国として」と言って反発を受けたというエピソードは知らないようだった。EUに入ると言うからにはトルコはヨーロッパなのだろう。でもイスタンブールはアジアとヨーロッパの境ではないか。「民衆の意識としてトルコはアジアかヨーロッパかどちらなんだ」と聞いたら、文化的にはどうの、経済ではどうのと煮え切らない。「要するに都合のいいときにアジアになったりヨーロッパになったりするんじゃないの」と言ったら、すなおに認めた。ただし、釘をさされた。「日本も同じじゃないですか」。 散歩道 2001.4月号 36 言語リアリズム  イギリスの料理は評判がよくない。もっともあるガイドブックにこう書いてあった。「しかし最近イギリスの料理はおいしくなった。なぜならイタリアや中東の食べ物が入ってきたからである。」さすがウイットの国である。 話は違うが、ロシアでみたテレビ映画では、映画の声に重ねて一人の声で吹き替えをしていた。出演が男でも女でも同じ男の声だ。二人の声が重なりそうなときも、早口で言っている。活動弁士のようなもので、画面の説明をことばどおりに具体的にしていると思えばいい。ポーランドでも同じだった。何人もの声優が練習してアテレコをするより、作業が楽なのだろう。  それにひきかえ、日本のテレビ映画の外国語は、それぞれの出演者に別の人が吹き替える。ただし人材が足りないとみえて、往年の名女優も最近の若手スターも映画が別だと同じ人の声になる。  テレビや映画のことばの忠実度は、国によって違う。日本のドラマでは、地方の話し手が登場すると、その地のことばをほぼ忠実に話すようになった。方言リアリズムである。外国語も同様で、映画やテレビドラマでアメリカ人が登場すれば英語で、中国人が出れば中国語でしゃべる。そして字幕がつく。言語リアリズムといえる。制作に手間と金がかかるし、観客が字を読めることが前提である。  しかし英米の映画では、アラビア人同士が英語を話したり、パリのフランス人がフランス語訛りの英語を話したりする。イギリス人にこの話をして、「イギリス人は字が読めないから字幕を使えないんじゃない?」とからかった。相手はにやりと笑って言った。「確かにイギリスには字の読めない人が増えた。アフリカやアジアから来た人が多くなったんでね。君のように。」料理と同じ論理だ。 散歩道 2001.3月号 35 電話の規則  子供のころは電話機が恐かった。はじめてかけたときに送話口と受話口を反対に持って、笑われた経験が尾をひいているらしい。新入社員も電話が恐いという。考えてみると、電話のときには、話の仕方に約束事があるらしい。  中国での電話のかけ方は日本と違うと聞いて、留学生に尋ねてみた。相手が出たら「あなた誰?」と聞くのだそうだ。電話機が全家庭には普及していないので、他の家の電話を使う場合もあり、誰が出ているか分からないからだそうだ。  この話を雑談として話題にしたら、ある日本人が「やっと分かった」といって、体験談を話してくれた。中国の留学生から電話があって、母親が出た。相手が「あなたは誰ですか?」と言ったので母親が激怒したとのことだった。「自分でかけておいて『誰』ってことはないでしょ!自分で名乗るのが当たり前でしょ!」と怒ったとか。  こんなところにも文化摩擦がある。外国語教育でも、電話をはじめとして会話の技術を教える必要がある。  しかし日本の電話のかけ方は、一部の日本語教科書に書いてあることと違ってきている。日本の会社などでは電話を受けた方が名乗る。こちらで名乗ると「お世話になります」と答える。葬儀屋にかけたときにこう言われたときには、一瞬考え込んだ。こちらで名乗らないと「失礼ですが・・・」でポーズを置く。はじめて聞いたときは、何が失礼なのか見当がつかなかった。  しかし今は個人の電話で受けた(若い?)女性は名乗らないことがある。  現在はケイタイにかけるときは、別の人が出る心配はまずないので「今いい(ですか)?」が最初のことばである。研究室への電話にも応用する人がいるのはありがたい。ゼミの最中に長々と電話で話そうとする人がいるからだ。 散歩道 2001.2月号 34 盗まれた?靴  ジャカルタの街の食堂で遅い夕食を注文していたら、子供が寄ってきて、何かいう。どうやら靴を磨かせてくれと言っているらしい。利発で正直そうな子だ。確かに靴は泥で汚れている。店員の方をみると、うなずいている。頼んでも大丈夫なのだろう。腰掛けて足を向けたら、その子は片方だけを持って、外に出ていった。さすが食堂の中でなく、外で磨くのだろうと考えた。しかしそれにしても遅い。食事が始まっても持ってこない。盗まれたのかと心配になった。片方はだしでホテルに戻ることになる。しかし店員は無関心である。片方だけ盗んでも意味がないだろうと思いついて、辛抱強く待った。  しばらくしたら戻って、もう一方の靴を持っていった。食事を終える頃に両方できあがった。片方だけ持っていくのは、非能率なようだが、客に安心させるためらしい。  店員にお礼の相場を聞いたら安い。チップをはずもうかと思ったが、あとの客、ことに日本人に迷惑がかかる。相場通りに払うことにした。かわりにことばでねぎらうことにした。インドネシア語の「テリマカシー」(ありがとう)は暗記したから言える。しかし「頑張れよ」は、持ち歩いていたアジア6カ国語会話辞典にも出ていない。しかたがない、日本語で「頑張れよ」と言った。その子はこっくりうなずいた。分かったのだろうか。顔の表情と声の調子だけは通じていたはずだ。「このドアホ」でもないし「早く帰って寝ろ」でもないことは通じただろう。  忙しいときには、テレビの音声を消して画面だけを、ながら族でちらちら見ることがある。喧嘩してるか、愛を語り合っているかは表情だけでも分かる。話しことばによるコミュニケーションのうち、ことば自体が伝える部分はそう多くないのだ。 散歩道 2001.1月号 33 お世辞の技術  高校の同窓会で「お前昔と変わらないなあ」「お前も若い」などという会話がきっかけで、故郷の東北の城下町では見えすいたお世辞は言わなかったという話題になった。東京に出たあと、お世辞やあからさまなほめことばに接した経験の持ち主が多かった。土地柄かと思ったが、思い返すと、故郷でも成人女性同士はよくお世辞を言っていた。高校生・社会人以前だから言わなかったのだろう。  ほめるのは難しい。「今日はきれいですね」というと「いつもはどうなんですか」と問いつめられそうな気がする。といって「いつもきれいですが、今日はことにお美しく」などというのは、みえすいている。  某国の大学の日本語科を訪れた際、会食のときにある若い先生が女性教官の一人に大声で「きれいな人に会えて光栄です」と言った。そのとたん周りの女性教官の顔がこわばるのが分かった。確かに話題の女性の笑顔は魅力的だったが、その他の女性教官もそれぞれ磨き上げた美しさがある。なのに、ほかは美人ではないと公言したことになる。  ほめるときは他の人に聞こえない場面で言う方がいいようだ。我が人生でこれまで同じ失敗をしていたかも知れない。それにしても最近は女性に向かって「きれいだ」「美人だ」というとセクハラで訴えられかねない。  さて某大学には、泣く子も黙る(あるいは黙っている子も泣き出す?)という女性運動の闘士がいる。その人とエレベーターの中で一緒になったある教師は、客観的にいうのならいいだろうと思って、「髪型が変わりましたね」と声をかけたそうである。そしたら彼女、ふんと横を向いて、答えたそうである。 「え、顔は変わりませんけどね」。 散歩道 2000.12月号 32 カナダ言語事情  ケベックの国際会議のあと、日中の研究者が意気投合し、タクシー相乗りでそれぞれのホテル帰ることにした。乗り込んだタクシーのアクセルの踏み方、ブレーキのかけ方が異様に荒っぽい。で、隣の同僚に話しかけた。  「もしかして英語しか話さないアジア人が相乗りしたから不機嫌なんじゃない?」  彼はちょっと考えて、運転手にゆっくりとフランス語で話しかけた。たわいのない世間話だったが、運転手がフランス語で答え、運転はおだやかになった。  その前の晩のことを思い出した。かねて知り合いのカナダ人の研究者が地元だからというので仲間との会食に誘ってくれた。時効だろうから書くが、ワインをかなりきこしめしてから、自分で運転して繁華街を目指してくれた。  やっといい店を見つけて座ったら、仲間の女性が「さっき断られた」と不愉快そうに言った。レストランの入り口で「あなたはフランス語を話さないからだめだ」と言われたそうだ。何しろ社会言語学者のグループだ。「カナダ訛りの英語だからではないか、アメリカ訛り、イギリス訛りの英語なら外国人だから許したんじゃないか」と、話題が盛り上がった。いっそ一目でアジア人と分かる人間が、しかも下手くそな英語で話しかければ、観光客と分かるから入れるのではないか、となった。実験のために立ち上がりかけたが、そのときにはワインが出てきたので、店から出て実験するわけにはいかなかった。食べ終わったときには呑んだせいで、完全に忘れていた。  ケベック州はもともとフランス人が入植したところでフランス語の勢力が強く、州の公用語にもなっている。愛国?者も多い。相手と同じことばを使えば親しくなれるのだ。 散歩道 2000.11月号 31 司会の楽しみ  英語ではフェミニズム運動のために、「司会」がチェアマンからチェアパーソンさらにチェアに変化した。  国際会議の司会というと大層な感じがするが、遠方からの参加者は途中でさぼらないだろうと主催者が単純に考えて、依頼することもある。  最初に頼まれたときは緊張したが、他の分科会を観察してみたら日本の学会と同じである。「質問・コメントはありますか」と「時間です」を言えばいい。何も質問がないときに自分で質問を用意して誘い水を作ったり、ほめたりできれば上出来である。  パリの国際会議では、会議規模が大きくて準備ができなかったせいだろう、分科会の出席者に会場係が声をかけて、泥縄でその日の司会者を頼んでいた。朝質問したのが目立ったのか、午後の部の司会を頼まれた。断れば困るのは目に見えている。「居眠りできないのは残念」と言って、引き受けることにした。  ところがある発表者がロシア語でやると申し出た。腹をくくった。「私はロシア語は分かりませんが、いつ始まっていつ終わったかは分かりますから、司会を続けます」と宣言した。聴衆は大部分出ていって、残りはロシア語の分かる人だけ。ところがロシア語の「因子分析」などが聞き取れる。配布されたグラフで内容も見当がついた。  分科会は無事終わった。抜き打ちで司会を頼んだ会場係のフランス人が、お礼にほめてくれた。  その返事でこう言った。 「美しい女性のチェアをやれて幸せでした」。手でお尻をなでるようなしぐさをしたので、笑いころげてくれた。  本当は司会を終えたときに聴衆の前でやりたかったが、セクハラで訴えられかねないので遠慮していた。ジョークを披露できてよかった。 散歩道 2000.10月号 30 悪いタクシー客  トルコの言語調査のおり、ホテルからタクシーに乗ったら、逆方向に走り出した。一方通行か、渋滞を避けてかと考えた。しかし地図でみると、一度郊外に出て、6角形の5辺を回るようなルートである。悪質な遠回りだった。  外国人はよく悪徳タクシーのカモになる。ある程度英語ができると、悪用してもうけようという運転手が出る傾向がある。  その後外国のタクシーに乗るときは、地図を見せびらかすことにしている。イスラエルでは、それでも別方向に走りだした。「道が違う。私は地図と磁石を持っている」といったら、運転手曰く。「あなたは悪い人だ」。そのあと運転しながら、「私はまずしい、子供がいる」「日本人は金持ちだ」などという。結局チップをはずんだから、遠回りと同じくらいかかったかもしれない。  リトアニアでは、空港ビル内でタクシーの客引きが英語で話しかける料金はやけに高い。実際に乗り場で待っているタクシーに聞くとそれよりは安い。しかしガイドブックにはもっと安いと書いてある。交渉を見ていた人が英語で話しかけてきて、相乗りを誘ってくれた。世の中悪い人ばかりではない。空港タクシーは不正料金をとるので、地元の人は電話で市内から無線タクシーを呼ぶのだそうだ。  いざ降りようとすると、その人は「外国人だから料金はいらない」という。しかし相乗りのおかげでガイドブックの半分の料金で済んだ。細かいお金がないので、手持ちのお札を二つに破って半分だけ渡そうというしぐさをしたら、笑って、そのお札を受け取ってお釣りをくれた。  不正タクシーに対抗する手段は色々あるが、この手法はその国のことばと事情が分かるときでないと応用できない。        散歩道 2000.9月号 29 挨拶の本質  ポーランドの国際会議でお別れパーティーの挨拶を頼まれた。地理的広がりを印象づけたいという。なるほど極東の参加者は珍しいだろう。とはいえ日本語でさえ挨拶は難しい。前もって練習し、祝杯も控えた。緊張を見かねたのか、そばのオランダの学者が言ってくれた。「どうせ酔っているんだから、挨拶なんて誰も聞かない。日本語で始めた方がいい。」  なるほどと思い、日本語で型どおり始めた。誰も聞いていない。会場の人が耳を傾けたところから英語に切り替えた。おかげで無駄な努力は省けた。後半こんな話をした。  「今回の発表で、ロシア語の重要性がよく分かった。個人的経験によると、ロシア語は世界で最も簡単な言語で、簡単に学び始めることができ、しかも簡単にやめることができる。私などは何度も新しい言語として学び始めた。3年後の会はラトビアだから、東の研究者が多いと思う。そこで、次の会までにロシア語をまた始めることを約束する。・・・・ただしいつやめるかは約束できない。」  無事話し終えたものの、主催者への感謝、会の運営への賞賛などは、もっと具体的に言うべきではなかったか、全員の活躍と健康を祈って乾杯すべきではなかったかと、悔やまれるばかりである。  ふと数時間前の閉会式を思い出した。参加者代表の公式の感謝の挨拶は英語・ドイツ語まぜこぜだった。ポーランドには忠実に訳されたが、英語への通訳は笑顔で「サンキュー」の一言ですませた。  これでいい、挨拶の本質は感謝だけだと考えることにした。もうこうなったら、酒で紛らわすしかない。さっきまでテーブルに放っておいたグラスに手を伸ばし、ピッチを上げた。前半酒を控えたが結局酒量はいつもの二倍になった。 散歩道 2000.8月号 28 電話審査の困惑  ひょんなことからアメリカの博士論文の学外審査員を頼まれた。以前の経験を思い出して、前もって論文を読んでコメントを書いて送ればいいだろうと考えて引き受けた。ところが、最終面接試験のときに電話で参加してほしいという。会場のスピーカーと国際電話をつなぎっぱなしにするのだそうだ。なるほど会場に呼ぶよりは安くつくし、書面を読み上げるより臨場感がある。今更断るわけに行かない。下を向いてメモを読み上げてもいい点だけは楽だと考えて引き受けることにした。  ところがいざ始まってみたら大違い。博士論文提出者に対して審査にあたる教授から鋭い質問があり、細かい指摘がある。丁々発止のやりとりである。電話の音質はよくない(本当は耳の方がよくないのだろうけど)。何よりも困るのは、いつ自分に順番が回ってくるか分からないことである。司会者の長い発言があり、なるほどと感心していると、最後に質問文になって".....? Professor Inoue."と来る。抜き打ちの質問と同じで、博士論文提出者と同じように問いつめられるわけだ。  考えてみたら、日本語で話すときは最初に「何々さん(に伺いますが)」のように聞き手に予告することが多い。また視線などで誰に話がふられるかも予測できる。電話だと言語外の情報が伝わらないから、どの発話が自分に向けられているか分からない。  その後審査の主査の先生に会った。ご自身もそのあとアメリカの他大学のために電話で審査したが、音質が悪くて苦労したと、会うとすぐに言ってくれた。電話だと、英語ネイティブでも苦労するんだと思った。が、よーく考えてみたら、かつての日本人の電話での受け答えの下手くそさがあまりにも印象的だったので、礼儀上なぐさめてくれたのらしい。 散歩道 2000.7月号 27 三階調査  大学移転を控えて、研究室の整理をした。保存していたレポートを読み直していたら、面白いレポートが出てきた。「三階」の発音を調べたものである。  店の三階で何を売っているかあらかじめ調べておいて、店員に尋ねて回ったそうだ。清音の「サンカイ」は千葉県のスーパーでは一割程度だが、デパートでは半数以上だった。東京銀座のデパートで試したらゼロだったので、方針を問い合わせたところ、四店中二店で「サンガイ」に統一していると答えたそうだ。  またアンケートをとったら、千葉の中学生は半数以上、東京の大学生は二〜三割がサンカイで、ともに女子に多いと分かった。「二三階」だと「ニジュウサンカイ」が千葉の中学生でも東京の大学生でも七〜九割に増える。これで類推によって「サンカイ」が広がったと見当がつく。  今は当時とレポートの位置づけが違う。最近の文化庁とNHKの調査で、九州でサンカイが多いことが分かったからである。九州では七割になるが、他地方は三割以下である。さらに世代差をみると、若い世代ではサンカイが五〜六割だから、サンカイは新しい発音で、九州で先んじて変化を起こしたと推測できる。レポートをみて、九州からまず千葉県に広がったかと思って、県別の分布地図を出力したが、残念、千葉県は目立たなかった。  アメリカ社会言語学の創始者ラボフはデパートでforth floorの発音を店員に聞いて回って、[r]の発音の社会階層差を見いだした。この技法を上手に応用したレポートだ。十数年前のもので、今の同僚教官の若き日の労作だった。栴檀は双葉より芳しのとおりだ。  保存していたレポートを選別して、ものを減らそうとしたが、あまり効果はなかった。 散歩道 2000.6月号 26 言語選択権  ゴッホ展を見に行ったときのこと、遠くの方でビデオ解説が聞こえる。英語かなと思ったが、よく聞き取れない。だんだん近づいて、やっと英語ではないと分かった。風邪のときの咳のような子音を使うところから、オランダ語と判断した。言語学の知識が役立ったと喜んだが、くだらん、ゴッホを知っていれば、誰だって見当のつくことだった。  オランダ語は英語に似ている。言語史的にも姉妹関係にある。オランダ人にとって英語は楽だろう。オランダ人が観光客用に英語を上手に使うのは、理の当然といえる。  故グロータース師によれば、相手のできる言語に合わせるのが多言語環境での礼儀だそうだ。ホテルなら客のことばに合わせる。しかし日本国内でも日本人は外国人に英語を使いたがる。他の国でも外国人には英語を選ぶ傾向がある。スペイン語を話せる日本人がスペインの銀行でスペイン語で話したのに、銀行員は英語で答えたそうだ。「自分の英語力を仲間に示したかったんじゃないですか、それとも顔をみて自動的に英語が出たかも知れないし」と応じた。しかし「スペイン語がひどかったんじゃないですか」とは、礼儀上言わなかった。  アフリカの言語調査に携わっている知人の話によると、某国の役所で現地語を上手に話したら軽くあしらわれた。別の日に英語で話したらきちんと対応してくれたそうだ。言語に順番を付けている。  ところでこんな話しをしたら、あるアメリカ人が体験を教えてくれた。オランダのホテルのフロントで係の話していることが分からない。丁寧な英語で「すみません、オランダ語は分かりません。英語で話してください」と頼んだ。そうしたら、係は憤然として答えたそうである。「私は英語を話している!」 散歩道 2000.5月号 25 一言の効果  国際会議のいいところは、最新の研究成果に触れられることだが、同じ興味を持つ人と飲んで話すのも楽しい。  パリでの国際会議のお別れ晩餐会でのこと。フルコースのフランス料理が味わえるはずだったが、大会本部の人数の計算違いであぶれるはめになった。ちょっと座をはずしたら席がなくなったのだ。誰かが本部やレストランに交渉したらしいが、予約した数しか料理ができないし、別の料理の客が同じ会場に混じるのは困るとのこと。結局一〇何人かが階下で別のコースの料理を食べることになった。  主賓や知り合いと切り離されたわけだから、不平不満タラタラの連中だけが集まって、会食するはめになった。ヤケ酒はよくない。何事にもいいところを見つけようという精神で、「意味のないスピーチを聞かなくていいだけましだ」などと言ってはみたが、あまり盛り上がらない。  そのうちに近くに座っていたドイツの女性研究者が周囲の数人と 「The best of the membersに乾杯!」とやった。なるほどうまい表現だ。お願いして、全員に聞こえるように、繰り返して乾杯の音頭をとってもらった。  ものは言いよう考えようである。その一言の効果は大きく、その後は盛り上がった。もっともそろそろ回ってきたワインのせいもあるが。  談論風発の末、言語学者をあげつらい、最も有名なのはソシュールということになった。ソシュール通りがパリ北部にあるのは手元の地図で確かめた。父祖の地ジュネーブにもあるはずだと(調べもしないで!)衆議一決した。  本当のベストメンバー、ソシュールには及ばないが、たった一言のおかげで意気軒昂に過ごせた一夜だった。 散歩道 2000.4月号 24 「性」を嫌う人  先年出した本の読者から手紙があった。本文で使った「傾向性」はけしからん、「傾向」だけでいいはずだという、お叱りである。  とりあえず、実際の用例を見ようと、インターネットのホームページをgooで検索した。五三二個のホームページで見つかった。学問的な固いホームページに多い。こんなに使われているなら、叱られる筋合いはない。なんで私が槍玉に?という思いである。  さらに典拠のしっかりしたデータをみた。『広辞苑CD-ROM』では見出し語として出ているし、語釈にさえ使われている。「方向性・指向性・志向性・内向性」など似た構成の語も見つかるので、類推でできたと見当をつけた。  百科事典CD-ROMの用例がすごい。『平凡社世界大百科』では一六例も見つかった。しかも分野は多岐にわたっている。はじめ理科系の用語かと思ったが、文科系でも使われている。「(左翼的)傾向性が強い」という用例もある。  『生物学事典』『バイオテクノロジー辞典』などには出ない。『新潮文庫』のCD-ROM(一〇〇冊、明治の文豪、大正の文豪、絶版の一〇〇冊、ホームズ)の5枚でも、出てこなかった。一方国語学文献目録の電子データでは、いくつかの論文題名に使われている。  これまで日本語については、公開された電子データ、コーパスがないので用例探しが不便だった。しかしインターネット利用で、膨大な語数のコーパスを入手したと考えよう。またお金はかかるが、CD-ROMを買えば、こんなふうに楽に全文検索できる。  ところで苦情の主は「性」の字がお嫌いらしいが、こちらはいたって好きな方。そんなお堅い方とは「しょう」が合わない。    散歩道 2000.3月号 23 動物園のヒト  カイロ大学で用務を済ませたあと、ホテルまで歩いて帰ろうとしたら、途中に動物園があった。「そうだ、動物園だったら、客の言語行動をそしらぬふりで観察できる!」と、思い当たった。なにしろアラブ文化圏ではお互いに近寄って話すと言われている。  入っていったら、こどもばかりである。小学校の団体らしい。お互いに体をくっつけて、固まって動物を見ている。本に書いてあるとおりと思ったが、日本でも小学生なら、このくらい近づきそうだ。  見ていたら、一人が気づいた。続いて大勢が振り向いて、こちらを遠慮なく見つめる。一人が英語で「ハロー」と言うので答えると、大勢が「ハワユ」とか「ワッチャーネイム」とかいう。あいさつをかわし、名前を答えるとあとは会話が続かないが、にこにこ笑って、手を振ったり、なかなかかわいい。他の子はこちらをためつすがめつ観察している。東洋人は珍しいのだろう。  そのあとも動物園を歩き回ったが、こどもたちにじっと見つめられたり、英語で声をかけられたりした。檻の中の動物よりは、檻の外を歩き回る見慣れないヒトの方が、ずっと面白いらしい。しかも声をかけたり手を振ったりすればすぐ反応するわけだから、サルなんかをからかうより楽しいのだろう。ヒトの行動を観察しようとして動物園に入ったのに、逆に観察される立場になったわけだ。  ふと思った。これまであちこち見て回り、人々の言語行動をそれとなく観察したつもりだったが、実は現地の人から観察されていたのではないだろうか。もっとも国内でも、トラになったり、古狸扱いされたり、オオカミになりそこねたり、ネコをかぶったりしたから、けっこう見物になっていたかもしれない。 22 ことばの博物館  国際会議などに参加するたびに、博物館などを訪れ、ことばをどう扱っているか、みることにしている。しかしことば関係の展示物は少ない。博物館は目に見えるモノの展示が中心なので、ことばのように目に見えないものは、扱いにくいらしい。 文字だけは何とか展示できるので、そのコーナーのある博物館は、いくつかの国にある。それぞれの国付近の古い文字の実物は、よく展示される。インドのように国内に多くの文字のあるところは、歴史的関係についての表もできていて、親切である。  しかし文字論からみて価値ある展示物も、無視されることもある。以前は模様かと思われていたマヤ文字は解読されたが、実物を見たことはなかった。アメリカの博物館で石の柱が展示されていて喜んで写真に撮ったが、文字の解説は簡単だった。その後メキシコの国立博物館に行ったら、マヤ文字の実物はあきるほどたくさん見られたが、言語そのものについては、おざなりな解説である。  ハワイの博物館では太平洋の諸言語がパソコン操作で聞けて楽しめた。パリの博物館では、情報通信の面からの展示が面白かった。  あちこち回って帰ってから、思いついて大阪の民族学博物館に行った。日本各地の昔話がボタンを押すと聞こえて人気があったし、世界のことばの見本が自在に聞けるコーナーもある。燈台下暗し。ことばについては日本の展示が最先端にあることを発見した。  先頃東京外国語大学が創立記念・独立記念を迎えた。教授会で記念行事の計画が発表され、博物館を作るという案も紹介されたが、某教授の聞こえよがしの独り言で、その計画は沙汰やみになった。「博物館に入れたい先生はいっぱいいるよ」。 ことばの散歩道 2000.1 21 明治九州英語 千葉県の麗澤大学で学会があった。森林浴のできそうなキャンパスを歩いて、創立者広池千九郎の記念館を訪れた。足を踏み入れてすぐに、貴重な言語資料を見つけた。一九三〇年に吹き込んだレコード一八二面である。江戸時代生まれの人の発音の分かる得難い資料だ。この当時一個人でこれだけの話しことばデータを残した人は珍しい。  エッセンス二時間分がカセットテープで売られている。さっそく買い込んで聞いた。話の中身には注意を払わず、発音やことばづかいをメモしながらだから、吹き込んだ本人にしてみれば、不謹慎な聞き手だろう。 セがシェになる九州なまりがシェンシェイ、シェカイのようによく出る。またエもイェと発音される。ユイェ、エイイェンのように。漢字音のクヮもケックヮ(結果)、ドークヮ(同化)のように、ちゃんとクヮで発音される。 また九州方言の特徴とされる下二段活用も豊富に聞かれる。タスクル、ソロユル、デクル、ワカルル、風呂にイルなどである。 広池千九郎(1866-1938)は幕末に大分県中津で生まれた。同じ中津の藩士福沢諭吉(1835-1901)より一世代若い。一八九一年(二五歳)以降故郷を出て、関西・東京で活躍した。それにしては九州なまりをよく残している。  傑作なのは書名の"Self Help"で、「シェルフヘルプ」と発音している。selfもshelfも区別がないわけで、棚が助けることになる。九州式英語発音である。  諭吉の英語については面白い話しがある。弟子の日本人が聞くと何を言っているのか分からなかったが、外人には通じた、というのである。諭吉の英語の発音に九州訛りはあっただろうか。 ことばの散歩道 1999.12 20 ことばを正す 国際会議のあとビヤホールで飲むときの話題は、やはりことばについてである。 パリでの自分の体験を話した。雑貨店に数日かよって顔見知りになったら、名詞の性の誤りを直してから売ってくれたのだ。それを聞いたアメリカの研究者は、「ドイツに住んでいたときに買い物したら、格変化の間違いを指摘して、正しく言い直すまで売ってくれなかった」というケッサクな話しをしてくれた。 ことばを正すには、自信と寛容度が関わる。似たことは一言語内でも起こる。かつてT氏は「東京人はことばについては鷹揚だ」と語ったことがあった。東京の人は、地方出身の人の訛りのあるしゃべり方に慣らされ、とがめだてをしない。地方の人が、よその人が方言をまねるといやがるのは偏狭だ、というのだ。 そういえば、若いころ関西弁をまねようとしたが、「アクセントが違う」とか「間違いが多くて気持ち悪いからやめてくれ」と言われて、やめたことがある。今も関西弁をまねることがある。実はヨーロッパ人がドイツ語とオランダ語と英語が話せるなんていうのは、日本語の共通語と東北方言と関西弁を使い分けるのと同じだという証拠にしたいのだが、うまく行かない。「落語の関西弁だ」「今の人はそんな言い方をしない」と批判される。方言研究書や漫才・落語の番組で覚えた関西弁では、だめらしい。  そんなに厳格にならずに、幼児に接する母親と同じように、その意図をほめ、それとなく正しい言い方を面前で繰り返すなどの手段を使って直すとかすれば、関西弁を楽しむ人が増え、使用者を増やせるはずだ。 正しいことばを守ることも必要だが、広い心も必要なのだ。 ことばの散歩道 14 バイリンガイ NHKの「英語で遊ぼ」という番組で日本語・英語をまぜこぜにして話すことが、ある会で話題になった。これから小学校の英語教育が始まるが、この番組がモデルになったら困るというのだ。バイリンガルを育てるには、相手や場面によって二言語を使い分ける方がいい。ちゃんぽんにすると二言語とも不完全になる可能性があるのだ。 「英語で遊ぼ」への抵抗感はもう一つある。それは日本語の発音と、英語のネイティブ風の発音との同居である。ふつう日本人は外来語として発音するときには、日本語の音韻体系に合わせる(ことしかできない)。しかし日系二世や帰国子女が自分たちだけで話しをするときには、英語も日本語も、それぞれの音韻体系のままで使う。 一方、英語のあいまい母音の発音などが日本語の発音にまじるとぞっとする、という日本人もいる。だから帰国子女の中は日本で日本語に合わせた英語の発音を学び直して、目立たないように努めるものもいる。 ところが最近は、バイリンガル風の発音が、ことばの研究者の間でも聞かれる。大学生なども英語の単語を英語として引用するときには、器用に切り替えて英語風に発音することがある。だから例えば英語の"channel"と日本語の平板アクセントの「チャンネル」とはまったく発音が違う。日本人の国際化が進み、バイリンガル式発音が広がりつつあるのだ。 一九九八年秋に仙台で飲んだときに、ある女性の研究者が「もう少し若かったらバイリンギャルと言いたいんですけど・・・・」と言った。聞いていた男どもは「男だったらどう呼ぼう」と考えたが、いい知恵が浮かばない。Sさんが「バイリンガイ!」と言ったので、賞賛の声と拍手で決着がついた。酒の勢いで、これからコピーライト付きで広げることになった。いつ日本語・英語の辞書に載るのか、楽しみだ。 日本語学 4月号 ことばの散歩道 12 おしノロジー 連続テレビドラマ「おしん」が放映された一九八三年頃は、さまざまな社会現象が見られて、「おしんドローム」という新語さえ出た。 一九九六年に台湾とタイに行ったときは、ちょうど「おしん」が放映されたあとだった。台湾では成長した小林綾子が大歓迎を受けていた。タイでも話題になったので、少女期のおしんの東北弁をタイ東北部の方言に訳さなかったか聞いてみた。「日本人がタイの方言を話したら変だ」と、バンコクのことばに吹き替えられたとか。ドラマでの「方言リアリズム」はタイでは実現しなかったようだ。 NHKの資料によると一九九八年現在で世界五七カ国にテープが提供されている。さっそく世界分布図を描いてみた。初期には日本語の放送版そのままで、アメリカ大陸とオーストラリアで日系人向けに放映された。中国・香港・タイ・シンガポールでも日本語版を利用した。日本とのつながりの大きい国々である。 一九八七年に英語版が作られ、アジア・アフリカ諸国に受け入れられた。一九八八年にはスペイン語版が作られて、南アメリカに広がった。番組提供の援助が有ったかららしい。ところが英語・スペイン語を使う本家のイギリスとスペインでは、放映していない。言語面で翻訳の手間がなくなっても、効果が出ないのだ。 苦労話のストーリーに親しみがわくかも、からむようだ。現にフィリピンでは「おしん」はあまり人気がなくて、楽に金をもうけるという別のドラマが人気を呼んだそうだ。 「おしん」は、言語の壁と国民性の壁の比較研究にも役立つ。こういう研究は、「おしん」とシノロジー(支那学)をもじって「おしノロジー」と呼ばれる。